②受験を決めた理由 その1
私は大学4年の時に教員採用試験に合格し、採用されてからずっと教員として働いてきました。
勉強を教えたかった、子どもと関わりたかったというよりも、「教育」に関する仕事で特に人格形成に関わる分野がいいなという動機でした。
優しい人になってほしかったし、思いやりのあふれる学級をつくりたくて奮闘していました。
しかし理想と裏腹に、学級経営は何年たってもうまくいきませんでした。
少人数の学級だと楽しくできるのですが、大人数だと雰囲気が悪くなってしまいます。学級崩壊のレベルまではいきません。傍目からみると一応授業も座って聞いているし、給食も掃除もちゃんと当番がこなしていました。先生が呼び出しても素直に応じて話は聞いてくれていました。ですが、どうにも雰囲気が悪い。
一番こたえたのは学力テストです。毎日の補習もむなしく点数がとれず、同学年の中で平均が圧倒的に低く、私のクラスのせいで点数を押し下げてしまいました。
原因は今なら分かります。自分自身に余裕がなかったからです。
仕事量の多さ、気を配らないといけないことの多さに体力も気力も衰耗していました。一番重要なはずの教材研究に時間がさけず、いい授業ができず、子どもたちの点数も悪くなるという悪循環。
年頃なのでやりたくないことには当然反抗してくる子どもたち。反抗に反抗で返すとろくなことにならないのに、忙しいと心が死にます。諭してじっくり話を聞いてあげればよかったのに、気力がわきませんでした。
まだ大丈夫、大丈夫と言い聞かせながら出勤を続けていましたがある朝、布団から起き上がれなくなりました。
そのまま診断名がつき、半年間休職することになりました。
最初の3日間は自分の情けなさ、まわりへの申し訳なさにずっと泣いていました。
しかし、時間が経つにつれ意思が固まってきます。
私は教員を続けるべきではないと。
復帰後は仕事を配慮してもらえるかもしれないけれど、いつまでもそういうわけにはいかない。年齢が上がるにつれ、難しいケースを担当することもあるだろう。主任も任されるだろう。
どう転んでも、バリバリ仕事をこなす自分が想像できませんでした。
想像できないというよりも、「なりたくない」が本音だったのかもしれません。
教員以外でも、教育に関わる仕事はできるはずだ。
そこで、図書館司書の資格をとるために通信制大学への入学を決めました。